東京都 品川区 大田区の結婚相談所「Noble Marriage Agency」代表の神原一郎です。
2015年11月15日、この日をもってプロレス界のレジェンド、天龍源一郎選手がリングから去りました。
私もさほど詳しい訳ではありませんがプロレス選手としての天龍さんはやはり大御所として認知しております。
古くは私が小学生のころから、最近ではお茶の間のバラエティー番組でもあの独特のしゃがれ声で良くお見かけしていました。
もともとはお相撲さんだった天竜さんは13歳(1963年)から10年間土俵に居ました。
最終成績は東前頭13枚目、8勝7敗でした。
1976年で引退され、同年「全日本プロレス」に入団。ジャイアント馬場さんに師事されます。
当時はあまり目立った選手ではなく、アメリカに武者修行の旅にも出ています。
転機が訪れたのは1981年。
帰国したその年にジャイアント馬場&ジャンボ鶴田選手の保持するインターナショナル・タッグ王座へ挑戦したこと。
挑戦チームの一人が交通事故に会ったため、代役として起用された時でした。
激しい激闘の末、タイトル獲得はならずともそのプレイにファンが激増。
「風雲昇り龍」との異名の元、ブレイクを果たしました。
その後も幾多所属団体の変更はあたったものの、世間はプロレス熱が冷める中、人気を博し続けてきました。
2010年には自身の団体「天竜プロジェクト」を設立。
しかし、その翌年腰痛による手術を行い2年間に及ぶ長期休業を余儀なくされましたが、その後復帰。
2015年2月に「本年11月をもって引退」することを表明。それから11月まで引退カウントダウン大会スタート。
2015年11月15日、実に39年間という長いプロレス人生に幕を閉じました。
このような素晴らしい天龍さんの生き様は、様々な方々が影響も受けています。
ファンの多さはもちろん、後輩選手や芸能人にも多く慕われていることが何よりの証。
私も感銘を受けた一人です。
何より65歳まで約40年間、続けてきたことの素晴らしさ。
サラリーマンではないのです。
あれだけ激しく体を酷使する生業において40年間続けることがどれだけ大変だったことか。
そして、こんな名言もされています。
「一人前に仕事ができないうちは大きなことは言っちゃいけない」
自身が角界からプロレスへ転向されたときに誓った言葉ということですが、実際1981年のブレイクまで無口で寡黙な姿勢を貫いています。
派手なビッグマウスではなく静かな有言実行です。
まだ若く血気盛んだった入団後の5年間、寡黙を貫くことはなかなかできる事ではありません。
この謙虚な姿勢が、ブレイクしてもずっと成長し続け、40年間という長い時間を戦い続けることができた源だったのかもしれませんね。
「言より実績」。
まさに身をもって大事さを教えて頂きました。
私もフィールドは違えど更に精進したいと思います。
~ サンダー・ストームを聞きながら・・・~(天龍選手の入場曲)
【Noble Marriage Agency 代表】 : 会員様のお相手探し、カウンセリングやご提案などの婚活サポートだけではなくお仕事上の悩みや人生においてのアドバイスも重視してサポートしています。
「人」に携わり25年以上。人材育成経験の他、一部上場企業での経験、転職、独立の失敗と成功の経験、部長等各マネジメント経験、営業、企画、人事、事業戦略、マーケティング等各種業務の経験を元に【成長できる婚活ライフ】をコンセプトに、「あなたに最適な婚活アドバイスと人生のプラスアドバイス」をご提供させて頂いております。